新年初の投稿です、パトリオットです。
ここ数ヶ月はお金を使い過ぎている気がするので、今後は極力控えようと思っています。
今回は、俺が高校生の時に利用していたニコモバというSNSでの争い事について書いてみようと思う。
当時は上手い反論の仕方が思いつかなかったものの、今となっては反論出来るがとても下らない内容だったなあ、という昔話みたいなものなので、興味ある方は最後まで読んでみてね。
俺が何かの記事で「好きって表現と凄いって表現、そんなに違うの?」と書いたのに対し、あるユーザーが「好き、は主観だが凄い、という言い方は客観的な表現だ。尤も、自分の事を客観的に見れていると思っているお前には到底分からんだろうが」と、非常に嫌味ったらしく返信してきたのだ。
果たして「凄い」は客観的な言い回しなのだろうか?
俺は主観の内に入ると思っている。
では、主観的な言い方か否かをどうやって判別するのか?
俺は何かの表現の前に「私にとって」を付けてみて違和感が無ければそれで良いと思うのだ。
「(私にとって)凄い」、「(私にとって)美しい」、「(私にとって)偉い」、「(私にとって)有能」、etc.............................
これらの表現は「好き」となんら変わりないだろう。「私にとって」が省略されていても別に咎める必要はない。
一方で「私にとって今最も話題がある」「私にとって売れている」といった発言だと違和感があるだろう。「いやちゃんとデータ見た?」と返されてしまっても仕方ない。
つまり、前者の様な「凄い」「美しい」「偉い」「有能」といった相対評価なら主観の内に入るが、後者の「話題がある」「売れている」といった絶対評価なら客観的な言い回しだと言えよう。
では絶対評価ならば「話題がある」「売れている」等の様に断定表現を用いてはいけないのだろうか?
俺は必ずしもその限りではないと思う。
例えば「のび太ってしずかちゃんの事好きだろ」という、「のび太はしずかちゃんの事が好き」という絶対評価に対する断定表現を用いた発言。しずかちゃんの事が好きかどうかなんてのび太にしか分からないが、傍から見てそう見えたのなら別にこの表現の仕方はなんの違和感も無いだろう。特に好意なんて目に見えないものなんだし尚更だ。
人間誰だって主観や憶測に断定表現を用いる事はある。すぐに調べれば出てくるようなデータや数値を見ずに断定表現を使うのはダメだが、それ以外なら断定表現のままで良い。
一々「~と私は思っている」なんて付け加える必要なんてないのだ。
まあ、断定表現にも「憶測の断定表現」と「断定した上での断定表現」の二種類があるからちょっとややこしいが..........................
要するに「好き」も「凄い」も「彼はあの子が好き」って表現も皆大丈夫なんですよ、はい。
とまあ、よくもこんな昔のクソ下らん言い合いに対してダラダラと長文を書き綴れるなあ.....................
我ながら呆れるわ(笑)
俺、よく昔の思い出がフラッシュバックするのよね。特に嫌な思い出の割合が多いかな。
これからもなんか書くかも。っていうかニコモバって今もサービス続いてるのかな?
後、この記事での俺の言う「相対評価」と「絶対評価」の使い方合ってるかな?
間違ってたらコメントしてね。
皆さんも会話している最中に些細な事で突っ掛からないようにね。
基本的に断定表現で良いんです、はい。