お久しぶりです、パトリオットです。
僕の誕生日は2月20日で、丁度5日前に23歳になりました。
社会人になってからもうすぐで1年か..............早いなあしかし。
誕生日は家族やグループホームの人等、色んな人が祝ってくれたので嬉しかったよ。
さて、そんな訳で今回の記事では今までの人生をざっと振り返ってみようかと思う。
俺は最初の記事でも書いた通り、発達障害持ちだ。高機能自閉症だったかな?とにかくアスペの類いであり、興味のある分野にはとことんのめり込むが、それ以外の関心は乏しく、知識も非常に偏っている。
障害者手帳も持っており、精神障害2級だ。周りの人からは健常者だと思われており、母が小学生くらいの頃に何度俺を病院等に連れて行っても「貴方のお子さんは特に問題ありません。健常者です。」と言われ続けてかなり診断を受けるまで時間がかかってしまったのだが、それでも最低の3級ではなく、2級なのだ。
俺は別に食事介助や排泄介助等、日常生活で人からの手助けは特に必要無いのだが、ネットで喧嘩やトラブルに巻き込まれる事が多く、一度喧嘩し出したら止まらなくなるような人間だ。
最近ではそんなに喧嘩はしていないし、Twitterでは色んな人が見ている事もあってほぼ全く喧嘩等していないのだが、中学の頃は酷かった。
後は作業が丁寧過ぎたり、普通の人よりも動作が遅かったりと言った所が短所か。
コミュニケーションスキルもあまり高いとは言えず、2人だけの時ならまあまあ喋れるのだが、複数人の空間になるとどうも話を盛り上げる事が出来なくなってしまう。
小学生の頃から俺は、合唱で歌うのでピアノの伴奏を練習してこいと先生から言われていても、ド忘れしていて3日前から慌てて弾き始める等、自己管理がとにかく出来ていなかった。
中学の頃も、修学旅行のグループで無理矢理俺が班長にさせられてしまい、皆に上手に指示を送る事が出来ず、先生からは怒られたりしていたな。後はさっきも書いた通り、ネットにのめり込んでいた。
高校生辺りからはマシになり始めて行ったんだが、偏差値64くらいの進学校に入学するも、あるトラブルを起こしてしまい退学になって親を悲しませてしまったりと、俺の問題は尽きなかった。
大学でもネットでトラブルを起こして..................思えば学生時代は親に迷惑をかけまくっていたな。今の社会人生活がまるで嘘かのように。
とまあ、こういう今までの軌跡を見ていくと俺はただの問題児で、クソみたいな人生を送っているように見えるが、俺は友達や大人等、人間関係にはかなり恵まれているように思う。
俺がアスペだと診断を受けたのは中学の時で、その頃から地元の障害者施設のリーダーの方に定期的に相談に乗ってもらったりしており、その人とは未だに会っている。とても頼りになる方で、職場でもかなり有能な人そうだという事が伺える。
小学校の頃の先生も、俺が3日前からピアノを慌てて練習し始めたと聞いても俺を怒らず、「3日で仕上げたの!?凄いじゃん!」と逆に俺を誉めてくれた。
今の職場でも、事務長や同じエリアで働いている年配の職員の方は優しくしてくれるし、俺の事を理解してくれている。
その他にも学校の先生で俺の事を理解してくれていた人は沢山居たし、付き合いが長い友達も沢山おり、友達の中には相談に乗ってくれたりする奴も居る。
障害により家族等の多くの人に迷惑をかけ、自分も苦しんでいる部分はあった。しかし、そんな俺の特性を早期に見抜いた母にピアノを教わり、特技が身に付いた。
そして、問題児だという事で多くの優しい人の注意を引き、人間関係に恵まれた。
上記のピアノのお陰で音楽が好きになり、音大に入学出来た。そして、卒業後の職場でも音楽を活かせている。
音楽が好きになった事により、DTMやらクラブ通いやら色々と行動的になっていった。
自分が障害者だと言う事は、何も悪い事だらけという訳では無かった。
..............多分ピアノを母から教わっていなかったら、今頃ずっと家でゲームでもやっていただろうな。小学生の頃クラッシュバンディクーというゲームにドップリハマっていたし、中学の頃もドラクエにハマってて勉強が手に付かなかったし。
なんにせよ母が教えてくれたピアノは俺の人生に大きな影響を与えたと思う。
俺は未だに数々の悩みやらコンプレックスやら抱えているが、それでも俺は幸せだ。アスペは遺伝するので将来子供が出来たら多分障害者になると思うが、それでも障害者が必ずしも不幸だという訳では無い事は俺が十分に分かっている事だし、俺は子供をしっかり愛して育てたいという気持ちはあるので、もし結婚出来たら子供は絶対に作りたいと思う。
今まで多大なる迷惑をかけてきたが、俺を産み、ここまで熱心に育ててくれて本当にありがとう。
これからは、俺が恩返しをする番だ。
1. 無題